人生いろいろあるからこそ気付きがある。

ASD ADHD小6長男とヒルシュ中3長女。栄養士取得後看護師の道へ、看護師10年以上ブランクからの復職。病気、子育て、ワークライフバランスとは?を常に考えるワーキングママのブログです。

息子の癇癪とクールダウン

 

息子Kは生後まもなくから育てにくさがありました。胃軸捻転症、自力排泄困難、アトピー、マルチアレルギーからの苦しさ、痒み、不快など様々なストレスもあったでしょう。

 

 

胃軸捻転症の苦しさからベビーカーやチャイルドシートを嫌がり、ベビーカーが使えたのは生後10ヶ月頃でした。エルゴでの抱っこも落ち着くまでギャン泣き、抱っこ紐からも跳ねるようにジタバタ。

 

チャイルドシートにのせてもギャン泣きのため車移動もままならず、長女、長男の大学病院通院時は毎回運転もいかに自分が冷静になるかとの戦いでした。

 

 

旦那は仕事が多忙のため通院の付き添いは困難だったこともあり私1人で生後まもない息子と4歳の長女を連れての1日がかりの通院。

7,8ヶ月のつかまり立ちからはKは自分で自分の拳をいれて1日に何十回も嘔吐していました。

 

 

10ヶ月から歩きはじめ胃軸捻転症の苦しさも落ち着き、ベビーカーも乗ってくれるようになり私も行動しやすくなりました。

 

 

10ヶ月自分で離乳食を食べたいという訴えがあり、スプーンを自力で持とうと必死なK、なかなかうまくご飯がすくえず毎回ご飯やお皿を投げつけ家中食べ物が散乱。イライラ癇癪でした。

 


とにかく癇癪ばかりでおもちゃやありとあらゆるものを投げつける日々。

1歳半から自傷行為で癇癪から壁に頭を叩きつけたり、床に頭をぶつけたりがはじまりました。この頃より定期的に臨床心理士さんに相談にのってもらっていました。

 

 

2歳頃より自傷行為は落ち着きはじめましたがイヤイヤ期は空間巻きこみ型のイヤイヤ期で、あれが嫌これが嫌ではなく空間全体に見てもらうようわざと泣きわめいたり、騒いだりでこれはかなり大変でした。外出してもひたすら泣き暴れるので公園と電車を眺めて1日過ごす日々。1歳から昼寝もしなかったパワフルすぎたK。

 


家事は子供を寝かしつけた深夜からスタート。Kはアトピー、卵、乳、大豆、小麦アレルギーもあったので調味料も手作り。夜な夜な食事作りしていました。

 

 

3歳自宅での癇癪は投げるから泣き暴れるに変わり、幼稚園入園前の1年間を集団生活で過ごしました。集団生活では泣き暴れることもなくその分家では凄まじかったのです。あれがうまくできない、これがやりたいけどうまくできないで1時間でも2時間でも泣いていました。それでも本人は諦めたくないのです。ですが、泣き暴れる姿をずっと側でいる私はかなりのエネルギーを消耗していました。

 

 

4歳、5歳幼稚園に入園し幼稚園ではトラブルもなく自宅では癇癪で泣き暴れる。

 

 

6歳引っ越して保育園入園し、保育園ではトラブルはなく自宅での癇癪は泣き暴れるから騒ぎイライラ周りにアピールになりました。

 

 

7歳小学校入学し、癇癪は自宅ではイライラしてなんでできないんだ!わかない!意味わからないなど騒いだりはありますが学校では隠れるになりました。

 

 

臨床心理士さんからは上手にクールダウンの方法を自分で理解していると言われました。

なかなか隠れるまでに行動がうつせないことが多いそうです。

 

 

Kはみんなが見ようとしても見られないオルガンの裏が一番落ち着くんだ。オルガンの裏に隠れると気持ちが落ち着くんだと話していました。

 


私は何故オルガンの裏に隠れるかわからなかったのですがKの話しを聞いて自分なりに落ち着かせようと考えている姿にKも頑張っているんだそう感じました。